私は、1959年(昭和34年)4月10日に北海道夕張市で生まれました。
(今上天皇と美智子さまのご成婚式の真っ最中に。)
生まれた時は未熟児で、右の股関節が生まれながらにして外れていました。(先天性股関節脱臼)
昭和32年から34年は、原因は分からないようですがこの先天性股関節脱臼が多かったようです。
こんな股関節をもっていながらも、
運動は大好きで、夏は野球、冬はスキーと活発でしたが、運動後は決まって右の股関節がチリチリ痛みました。
小学生の時の帰り道、後ろから来た知り合いのおじさんに、「足どうしたんだ?」と声をかけられ、
自分では不思議でした。
(この時には、先天性股関節脱臼の影響で発育不全 [右足が短くなる] が現れていたようです。)
中学1年生の時には、札幌医科大学付属病院に手術のための検査入院をして、当時股関節の権威と言われた川村教授のひと声で手術は無くなりましたが、痛みは相変わらず、運動も相変わらずでした。
高校では、憧れていた重量挙げを始め、その後も続けました。
格好良く言うと「モスクワ五輪」(1980年)を目指していました。
そんなレベルの選手ではありませんでしたが、鍛えても偏って筋肉がついてしまい動きに限界がきてしまいました。
現役をやめようと思った時に、他種目を含め周りを見ると、プレ五輪や世界大会でメダルや入賞など、好成績の選手たちがいて、うらやましいと思うよりそんな身体でよくその成績が残せるなあと思い、この選手たちをもっといいコンディションで戦わせたいという思いから、トレーナーになりたいと漠然と思ったのがきっかけでしょうか。
そう思いながらも、何をしたらよいのか、どんな学校へ行ったら良いのか全く分からずにいた昭和57年のある日、運命の出会いといってよいのでしょう、カイロプラクティックをやっているSさんに埼玉県浦和市で出会いました。
「一度受けてみたら?」と言われましたが、カイロプラクティックなど聞いたこともなかったので、どんなことをされるのか?怖々受けた記憶が残っています。
施術を受けて帰り道、「もっと早くに知っていたら、現役を続けられたかも?!」と「このカイロプラクティックを勉強して自分でやりたい!」と決めていました。
シオカワスクールオブカイロプラクティックに入学すると、そこでは目標が整形外科医にも対等にでした。
ですから自分の抱えている問題を中心に一生懸命勉強しました。
もっと早くこの方法で施術が受けられていたならから、やがて自分と同じような人の苦しみを何とかしたい。
自分の身体を通して苦しんでいる人を理解し助けたい。
50歳を過ぎて、
生まれながらの問題を身体に抱えてどう身体が変わってきて、どんなつらさを持つのか、医学書にも書いていないことが自分の身体を通して理解できます。
そしてその説明ができます。
いま、【癒し以上に、痛みやつらさに一緒に挑んで行こう。】と心に決めています。
こんな症状の方が
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